写真集が届いた。 装丁の中に落ち葉が入っている。 これもうアートブックやん… 写真家のメッセージを受け取りながらページをめくる。
森が写っている、人が写っている。季節は。。写真集の中でなんども巡っているようだ。病院の景色になり
再び森に戻ると写真家と被写体の距離感が変わったように感じる。中に入っていく。同化していく。けれど全ては重ならない。
モノクロ写真でまとめられた作品からは温かでニュートラルな奇を衒わない彼らしい意図が伝わってくる。
あとがきを読む 「居心地のよい森というのは、明るく手入れがされ、人の気配がするので温もりにあふれています。つまり人間の世界と自然の世界の中間、グレーゾーンになっています。結局は人を治せるのは、自然ではなく人なのでしょう。」
写真を撮ると言うことは中に入っていく行為でもあり、また傍から写すと言うことでもある。
同化してしまっては被写体を見極めることができず、かと言って他者のままでは真に迫ることもできない。
僕たちはきっとグレーゾーンから世界を見つめている。
きっと彼自身も、取材を重ねながらグレーゾーンでシャッターを押してきたのでしょう。
また、彼はこうも言っている「障がいと健常の線引きが難しくなったことでグレーゾーンの存在を多くの人が感じ、一緒に生きていく社会への適応力も求められています。」
ダイバシティと騒がれ始めて久しいけれど、多様性を認めると言うのは相手との間に線を引いて違いを認め合うこと
ばかりではないのではなかろうか。むしろ相手と自分の間には線などはなく、そこには無限のグレーゾーンがあるだけであることを互いに認め合い、どちらの立場も尊重していくことが必要なのかも知れない。
同化するわけでもなく、かと言って線を引き違うものとするのでもない。
そんなものなのかも知れない。
時間軸を無くしたモノクロ写真に撮影者自身の凝縮された時間を感じました。 I'm really touched by you.
赤々舎から 紀成道 Touch the forest, touched by the forest.