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  • 執筆者の写真Jun Takai

モノクロ写真とカラー写真


https://www.facebook.com/ryu.hayano/posts/1578377238888195

バークレーに送る前に作ったテストプリント

今日、UC Berkeleyで行われている福島の高校生のトークショーなどを含んだイベントに末続暮らしの写真展から作品を貸し出ししています。

今までと大きく違うのはモノクロ写真に改めて現像し直したこと。

作業中、「高井さんは末続で撮った写真を過去のことにしてしまうのか?」と質問を受けたので、モノクロにする理由をきちんとどこかで説明しなければと思っていました。バークレーで展示が行われてる今、このブログで説明しようと思います。

これまでの写真展に来た方は気がついていると思うのだけれど、僕は末続の写真を並べる時に決して撮影年次ごとには並べません。唯一例外で最初に持ってくるのが津波と火災があったことを伝える写真、初めて久之浜を訪れた時に勉強会で泣きながら気持ちを語ってくれた女性の写真など、被災状況があったことを伝える写真です。その先は2011年の写真でも2016年の写真でも関係なく、ポートレイト、暮らしを表す写真、お祭りの写真などを並べます。

今回、イベントの事前のお打ち合わせで「福島は復興した未来は明るい!」というメッセージを出したいとお話を頂きました。でも、僕はそれはちょっと違うのではないかなと思ったのです。復興が何かはさておき、みんなが放射能のことなんか気にせずに過ごすようになっても、その先で集落は急激に進んだ過疎化と向き合っていかなければなりません。そもそも、復興前がいつをさすのかもわかりませんが、人が避難から戻った時点で暮らしは震災前も後も続いてきているのです。

写真をモノクロにしたのはそうした続いて行く暮らしをお伝えしたかったためです。写真をモノクロにすると前述の質問をくれた人のように「過去のこと」と感じることがあります。これはモノクロ写真が長い時間軸を持って見られるということだと思います。カラー写真では今起きていること(実際には常に少し前の過去になりますが)を伝えられていると感じた人がモノクロになった途端に「昔」のことと感じる。

この感覚は間違いではないと思います。ただ、僕は過去のことにしたかったのではなくて、長い時間軸でとらえて欲しいと思ったのです。それが震災一年後なのか、五年後なのか、もしかしたら震災より前の年なのか。カラーでもパッと見ではわかりづらい作品群ではあったのですが、そこからさらに一歩踏み込んでモノクロにしたのです。

そして改めて撮影した年月日を見て欲しいと思うのです。様々な時代の波の中で暮らしを維持し続ける人々を見て頂きたいのです。震災の翌年でもみなさん、笑顔もあったし、怒った顔もありました。

暮らしは戻り住み始めた時点から住民のみなさんのものです。同様に復興も外の誰から押し付けられるものでも与えられるものでもなくそこに暮らす人々のものだと思います。

末続で自分が学んだ多くのことには普遍的な価値があると思っています。時代を越えるモノクロ写真というトライ。バークレーのみなさんがどう感じられるか感想を楽しみに待っています。


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